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セイレーンは語る(6) [セイレーンは語る]

原文はこちら。
http://brentcorriganuncensored.blogspot.com/2007/08/sirens-tale.html

2.深入り(続き)

「プールボーイ」への反響があまりに大きかったので、年齢問題はまったく片付いていなかったにもかかわらず、ブライアンはすぐまた僕をカメラの前に引き出した。彼は、僕が金に困っていることや、最初の小切手がどうなったかをよく知っていて、2本目の作品を提案した。「スクールボーイ・クラッシュ」だ。秘密がバレて罰を受けることになるのではという不安はあったが、それはまだ抽象的な可能性にすぎなかった。でも、ジェイクとの関係が悪化していることや、母が当てにならないという家庭の事情は毎日の、差し迫った現実だ。ブライアンは僕に、そこから抜け出す手っ取り早い方法を示し続けた。それがコブラ・ビデオだった。

二度目のビデオ出演を正当化するために、僕は自分に言い聞かせた — 必要なところにたどり着くために、この仕事をしよう。そして、その後はアダルト業界に背を向けよう。そうすれば、自分の間違った決断につきまとわれることも、そのうちなくなるだろう、と。

ブライアンは二作目の撮影をある週末に設定し、僕が家を留守にしてどこに行くかという、母に対する言い訳も用意した。撮影はカリフォルニア州ラホーヤで行われた。夜は[撮影場所を兼ねた家で]チェイス・マッケンジーとブレント・エヴェレットが同室で1つのベッドを使い、ブライアンと僕が別室で、やはり1つのベッドで眠ることになった。この部屋割りについて、ブライアンはこう説明した — チェイスとブレントは元恋人同士だから、1つのベッドで構わないだろう、と。僕と彼が一緒に寝ることについては、ソファではよく眠れないだろう、君が主役なんだから、最高のコンディションでいてほしい、と言い張った。それまでブライアンは僕に対して、いつもプロらしい態度だったから、同室でも別に心配はしなかった。

撮影2日目の夜、ブライアンは仕事がうまくいったお祝いだと言って、夕食後に酒を出してきた。2004年の4月か5月のことだ。当時、ハイスクールのジュニア(高校2年生)で、165センチ50キロ。飲酒の習慣はなく、アルコールに弱かった。

ブライアンは、僕に酒が回るのを待って、僕を求めてきた。「ずっと、こうしたかった…」とささやかれたのを覚えている。17歳の僕は、まだ「ノー」という言葉の威力を知らず、体を許してしまった。翌日になると恥ずかしくてたまらなかった。何が起こったか、誰にも知られたくなかった。
(続く)

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